結構昔に、Bライフおばあちゃんという記事を書きました。
Bライフおばあちゃんの記事→http://akogare.blog.jp/archives/19243439.html
Bライフおばあちゃんとは僕の母方の祖母の事なんだけど、五右衛門風呂から出火して自宅が燃えてしまい、当時火災を免れた倉で生活していました。その様子がBライフっぽくて面白かったのでブログ記事にした所、結構な反響をいただきました。
その後Bライフおばあちゃんは新居を建ててAライフおばあちゃんに進化しました。
Aライフおばあちゃんの記事→http://makihisao1986.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
不便な倉での生活から近代住宅になったので生活が楽になるだろうと思っていたのですが、おばあちゃん的には新しい機能をイマイチ使いこなせていない感じでしたね。
それから毎年お盆におばあちゃんの新居に遊びに行ってたんだけど、顔を出す度ににおばあちゃんの様子がおかしくなっていることに気が付きました。
玄関にはこんな張り紙が貼ってあったりもしました。
なんでもお菓子の訪問販売員に現金の入った封筒を盗まれたので頭にきてこの張り紙を貼ったそうです。
その後、おばあちゃんは認知症と診断されて施設に入ったと聞いたのですが、入所して間もなく亡くなったと連絡を受けました。
2020年7月19日 90歳で死亡したそうです。
コロナで面会謝絶状態だったので誰にも看取られること無く天に召されたそうです。その後葬儀が行われたのですが、コロナの影響を考慮して岩手県内の親族のみで行うことにしたので、千葉県住みの僕と、東京住みの兄は葬儀に参加できませんでした。
僕が今現在小屋暮らしをしているのは、もとを辿ればおばあちゃんの田舎暮らしに触れたのが大きかったのかもしれません。
おばあちゃんが住んでいた田舎は、昔は原野で何もなかったそうで、一から開拓して生活を築き上げたそうです。Bライフも何もない更地に自力で小屋を建てたり、インフラを整備したりと開拓要素が結構あります。
そういう点でおばあちゃん達のDNAを僕が引き継いで生活しているのかなとふと思ったりもしますね。
葬儀に参加できなかったのは残念だったけど、Bライフをやったおかげで時間だけはたくさんあったので、生きているうちに結構遊びに行けたのは良かったと思います。
おまけ
去年の夏、彼女を連れて実家に帰った時、ちょうどおばあちゃんが遊びに来ました。
おばあちゃん「おお、克也もついにいい相手が見つかったのか!名前はなんていうのかな?」
かずちゃん「かずみです」
おばあちゃん「かずみちゃんね。おばあちゃん最近忘れっぽいから紙に書いてちょうだい」
おばあちゃん「ありがとうね。かずみちゃんのおかげでおばあちゃん一安心だよ」
それから一年後~おばあちゃんが亡くなって葬儀が終わった後母親と電話で話した。
母「あれから大変だったのよ。色んな人に克也が結婚したぞって言いふらして。いちいち訂正するのも面倒くさいからあんた達はこっちでは結婚したことになってるからね」
僕「そうなのか。おばあちゃんスピーカーだからなぁ」
母「あ、そういえばおばあちゃん、あんたとかずちゃんにお祝いを用意していたみたいよ。今度帰ってきた時に渡すから楽しみにしておきなさい。」
僕「おばあちゃん・・・ありがとう」
Bライフおばあちゃんの記事→http://akogare.blog.jp/archives/19243439.html
Bライフおばあちゃんとは僕の母方の祖母の事なんだけど、五右衛門風呂から出火して自宅が燃えてしまい、当時火災を免れた倉で生活していました。その様子がBライフっぽくて面白かったのでブログ記事にした所、結構な反響をいただきました。
その後Bライフおばあちゃんは新居を建ててAライフおばあちゃんに進化しました。
Aライフおばあちゃんの記事→http://makihisao1986.blog.fc2.com/blog-entry-235.html
不便な倉での生活から近代住宅になったので生活が楽になるだろうと思っていたのですが、おばあちゃん的には新しい機能をイマイチ使いこなせていない感じでしたね。
それから毎年お盆におばあちゃんの新居に遊びに行ってたんだけど、顔を出す度ににおばあちゃんの様子がおかしくなっていることに気が付きました。
玄関にはこんな張り紙が貼ってあったりもしました。
なんでもお菓子の訪問販売員に現金の入った封筒を盗まれたので頭にきてこの張り紙を貼ったそうです。
その後、おばあちゃんは認知症と診断されて施設に入ったと聞いたのですが、入所して間もなく亡くなったと連絡を受けました。
2020年7月19日 90歳で死亡したそうです。
コロナで面会謝絶状態だったので誰にも看取られること無く天に召されたそうです。その後葬儀が行われたのですが、コロナの影響を考慮して岩手県内の親族のみで行うことにしたので、千葉県住みの僕と、東京住みの兄は葬儀に参加できませんでした。
僕が今現在小屋暮らしをしているのは、もとを辿ればおばあちゃんの田舎暮らしに触れたのが大きかったのかもしれません。
おばあちゃんが住んでいた田舎は、昔は原野で何もなかったそうで、一から開拓して生活を築き上げたそうです。Bライフも何もない更地に自力で小屋を建てたり、インフラを整備したりと開拓要素が結構あります。
そういう点でおばあちゃん達のDNAを僕が引き継いで生活しているのかなとふと思ったりもしますね。
葬儀に参加できなかったのは残念だったけど、Bライフをやったおかげで時間だけはたくさんあったので、生きているうちに結構遊びに行けたのは良かったと思います。
おまけ
去年の夏、彼女を連れて実家に帰った時、ちょうどおばあちゃんが遊びに来ました。
おばあちゃん「おお、克也もついにいい相手が見つかったのか!名前はなんていうのかな?」
かずちゃん「かずみです」
おばあちゃん「かずみちゃんね。おばあちゃん最近忘れっぽいから紙に書いてちょうだい」
おばあちゃん「ありがとうね。かずみちゃんのおかげでおばあちゃん一安心だよ」
それから一年後~おばあちゃんが亡くなって葬儀が終わった後母親と電話で話した。
母「あれから大変だったのよ。色んな人に克也が結婚したぞって言いふらして。いちいち訂正するのも面倒くさいからあんた達はこっちでは結婚したことになってるからね」
僕「そうなのか。おばあちゃんスピーカーだからなぁ」
母「あ、そういえばおばあちゃん、あんたとかずちゃんにお祝いを用意していたみたいよ。今度帰ってきた時に渡すから楽しみにしておきなさい。」
僕「おばあちゃん・・・ありがとう」