以前瞑想センターに行った記事を書きました。センターに居るときは瞑想しかやることがないので何時間でも修行できたのですが、家に帰宅してからは色々誘惑があるせいか全く瞑想に身が入らず、2~3日したらすっかり匙を投げてしまいました。まあまた気が向いたら瞑想センターに行けばいいやと気楽な感じで日々を過ごしていたところ親父の本が目に止まりました。

DSCF0254.jpg
手放す生き方 タイの森の僧侶に学ぶ「気づき」の瞑想実践 

これは!!!!僕の中に眠っていた瞑想への情熱がピクリと反応しました。もともと瞑想に興味をもったのは親父の定年後に始めた仏教研究に影響を受けたのがきっかけで、また親父に触発されてしまったようです。

とりあえずザックリと読んでみたのですが、色々と考えさせられることがありました。人間は想像、妄想によって苦しんでいます。特に初見の印象が悪い場合はいつまでもそれが纏わりついてしまいます。

九十九里に引っ越してきて初めてご近所さんに挨拶回りをした時火の扱いなど色々注意を受け、ちょっと付き合いづらい人だなと内心思ってしまいました。しかし最近ではお菓子や野菜などを笑顔で差し入れてくれます。ロケストについても多分容認してくれています。内心結構いい人だなと思いました。

勝手に脳内で「付き合いづらい人」ときめつけ、良い所が見えると「いい人じゃん」と喜ぶ。自分で創りだした想像に勝手に振り回されて勝手に苦しんでいたようです。瞑想とはそういう安易な感情による判断から抜け出すための技だということをすっかり忘れていました。日常生活では常に自分の心を観察する事を怠ってはいけませんね。

さっそく目をつむり瞑想をしてみたのですが、10分ほどで限界が来て終了ですw湧き出てくる妄想に負けてしまいました。心の統御って難しいですねー


おまけ
母親が用事で出かけているため、今日の昼飯は僕が作ることになりました。せっかくなので野草を摘んできておかずにしようと思います。

DSCF0242.jpg
↑一見ただの雑草地にしか見えませんがノビル、スカンポ、三つ葉、アサツキ、カンゾウが写っています。昔の僕ならスカンポくらいしかわからなかったと思います。

DSCF0253.jpg
茹でたり炒めたりしました。

僕の野草摘みは地面をじっくり見ないと判別できないレベルですが、いずれは瞬時に見つけられるようになりたいですね。ちなみに僕の母親は車で走っている状態で土手の野草を判別できるレベルです。スゴスギル・・・