4月29日、今日で31歳になりました。なんだかんだであっという間に31年が過ぎたなぁ。
せっかく実家にいることだし昔の写真を引っ張り出して人生を振り返りましょう!(ちなみに去年もやったよ。)
おそらく3歳。当時はよくそこら辺に生えている草を食っていました。Bライファーの素質あり???
1番左がぼくです。たぶん5~6歳くらい。
幼稚園のお泊り会で、当時おねしょグセがあったぼくはヒヤヒヤしながらお泊りしたのを記憶しています。ちなみにこのお泊り会ではもらさずにすみました。
幼稚園の演劇
関が原の戦いをやっていて、ぼくは徳川軍を演じていて後ろの黄緑の石田軍をぶった切って最後は華麗にポーズを決めて幕が閉じます。
当時は関ヶ原の戦いの意味もわからないまま先生に言われるとおりに演じていたと思います。
こうみえてぼくはヤマハ音楽教室でピアノを習っていました。この写真はピアノ教室でお誕生日会をやってくれたときのものだと思います。
小3くらい。このPUMAの服はお気に入りでした。
当時兄貴は東京の大学にいっており、一緒に暮らしていませでした。この写真は岩手に帰省してきたときに撮影したものだと思います。
小学校の卒アル。キノコヘアーでした。
中学校のときの合唱コンクール。なつかしいなー
ちなみに指揮をしているのがぼくです。ともに3年過ごした同級生は今何をしているのだろうか。会社だともう中堅クラスでバリバリ頑張っているんだろうな。
まあぼくもBライファーでは中堅クラスでバリバリやってますがね。
高校生の時に書いた履歴書が出てきました。字がメチャメチャ汚かったので先生に何回もやり直しをくらって何時間もかけて書いた記憶があります。
コンビニ弁当の会社に提出する履歴書。
高校2年の時のメンマ工場でのインターンシップ(就業体験)でぼくは責任の重さや作る喜びを学んだらしい。そして将来は食品製造会社の仕事に就きたいと考えていたところ先生からコンビニ弁当の製造工場を紹介されたそうだ。
たしか先生のおじさんが工場長をしていて、ぼくはその伝手で面接をしてもらったと記憶しています。
書くことがあまりなかったので、わざわざ近所のコンビニまで行って志望会社の作ったサンドイッチを買って食べて、非常に美味しく、さらに仕事への意欲が湧いてきました。と書いたと思います。
31歳になった今、この履歴書を見て吹き出しそうになりました。突っ込みどころが満載ですね。
確かぼくの他にも何人かこの会社を受けた人がいて、筆記試験の成績はぼくは大したことなかったそうだけど、何故か合格することができました。ぼくの推測では先生のおじさんが工場長だったから受かることができたんじゃないかなと思います。
コネパワーは絶大だね。
こうして無事に入社することがでました。最初ころは下っ端の仕事ばかりで気楽に楽しく仕事してたんだけど、入社2年目くらいから現場監督のしごとを任されてそれから色々歯車が狂ってきましたね。
言われたことをただやっていればよかった下っ端時代とは違って、工場全体のタイムスケジュールを見ながら動かないと行けないので頭が悪いやつには務まらない仕事だったんだよね。
自分の能力に限界を感じて退社。そして今Bライフやってます。
まあ人間いつかは死ぬんだから嫌なことなんかやらないで自由に生きればいいよ!
31歳 振り返り 終わり
せっかく実家にいることだし昔の写真を引っ張り出して人生を振り返りましょう!(ちなみに去年もやったよ。)
おそらく3歳。当時はよくそこら辺に生えている草を食っていました。Bライファーの素質あり???
1番左がぼくです。たぶん5~6歳くらい。
幼稚園のお泊り会で、当時おねしょグセがあったぼくはヒヤヒヤしながらお泊りしたのを記憶しています。ちなみにこのお泊り会ではもらさずにすみました。
幼稚園の演劇
関が原の戦いをやっていて、ぼくは徳川軍を演じていて後ろの黄緑の石田軍をぶった切って最後は華麗にポーズを決めて幕が閉じます。
当時は関ヶ原の戦いの意味もわからないまま先生に言われるとおりに演じていたと思います。
こうみえてぼくはヤマハ音楽教室でピアノを習っていました。この写真はピアノ教室でお誕生日会をやってくれたときのものだと思います。
小3くらい。このPUMAの服はお気に入りでした。
当時兄貴は東京の大学にいっており、一緒に暮らしていませでした。この写真は岩手に帰省してきたときに撮影したものだと思います。
小学校の卒アル。キノコヘアーでした。
中学校のときの合唱コンクール。なつかしいなー
ちなみに指揮をしているのがぼくです。ともに3年過ごした同級生は今何をしているのだろうか。会社だともう中堅クラスでバリバリ頑張っているんだろうな。
まあぼくもBライファーでは中堅クラスでバリバリやってますがね。
高校生の時に書いた履歴書が出てきました。字がメチャメチャ汚かったので先生に何回もやり直しをくらって何時間もかけて書いた記憶があります。
コンビニ弁当の会社に提出する履歴書。
高校2年の時のメンマ工場でのインターンシップ(就業体験)でぼくは責任の重さや作る喜びを学んだらしい。そして将来は食品製造会社の仕事に就きたいと考えていたところ先生からコンビニ弁当の製造工場を紹介されたそうだ。
たしか先生のおじさんが工場長をしていて、ぼくはその伝手で面接をしてもらったと記憶しています。
書くことがあまりなかったので、わざわざ近所のコンビニまで行って志望会社の作ったサンドイッチを買って食べて、非常に美味しく、さらに仕事への意欲が湧いてきました。と書いたと思います。
31歳になった今、この履歴書を見て吹き出しそうになりました。突っ込みどころが満載ですね。
確かぼくの他にも何人かこの会社を受けた人がいて、筆記試験の成績はぼくは大したことなかったそうだけど、何故か合格することができました。ぼくの推測では先生のおじさんが工場長だったから受かることができたんじゃないかなと思います。
コネパワーは絶大だね。
こうして無事に入社することがでました。最初ころは下っ端の仕事ばかりで気楽に楽しく仕事してたんだけど、入社2年目くらいから現場監督のしごとを任されてそれから色々歯車が狂ってきましたね。
言われたことをただやっていればよかった下っ端時代とは違って、工場全体のタイムスケジュールを見ながら動かないと行けないので頭が悪いやつには務まらない仕事だったんだよね。
自分の能力に限界を感じて退社。そして今Bライフやってます。
まあ人間いつかは死ぬんだから嫌なことなんかやらないで自由に生きればいいよ!
31歳 振り返り 終わり